一泊二日、久しぶりの二人時間

ちょうど梅雨が明けた 7月中ごろ。お互いに仕事の忙しい日々が続いていたが、ようやく妻と休みを合わせることができた。まだ遠くにいくほどの暇は取れないため、近場での旅を楽しもうと一泊で旅館山河へ出かけた。

車で黑川温泉の街なみを横目に通りすぎ、せまい一本道を進むと宿の看板が見えてくる。駐車場では年配の従業員が「お荷物をお持ちしましょう」と笑顔で出迎えてくれた。

駐車場から宿までの道すがら、両脇から木々たちが枝葉をめいっぱい伸ばして覆い被さってきていて、里山らしい生気と力強さを感じられる。「日本秘湯を守る会」のちょうちんが目に入る。景観をそこなわない色合いの壁土とシックな瓦、黑を基調とした玄関は質実剛健な佇まいながらも、打ち水でしっとりと涼やかで、今から始まる旅をいっそう期待させてくれる。

「本日はようこそいらっしゃいました」。ロビーでは待たずに仲居さんがやってきてくれた。地元でつくられた甘い草団子と緑茶が運転に疲れた体に染みる。ああ、旅にきたんだなあ。

泊まりは本館からすぐ近く、離れの部屋「夏椿(なつつばき)」。内風呂付きの二間でゆったりとした広さに、おだやかなで上品な空間。部屋に入ったときの郷愁を誘う匂いにふっと肩の力がぬける。
門口にはさりげなく紫陽花がしつらえてある。床の間には静物の雷鳥が仲良く二羽そこに居た。過度な飾りは一切なく、目立つ貼り紙の類もない。宿全体に “引き算の美学“が根付いている。

窓からは旅館の中庭が見えた。生命力あふれる木々の葉擦れと、小さな小川でぐるぐるまわる芋ぐるまが水をかき混ぜる涼しい音が聞こえてくる。

さあなにをしようか。

まずは汗ばんだ体を洗い流そうと内風呂へ。
風呂の外には、手を伸ばせば草木がつかめるほどすぐそこにありのままの自然がある。硫⻩で赤茶けた浴槽のなかで一人、やや熱めのお湯にじわじわと肩まで浸かる。自然とお湯とわたしがまるでひとつにつながっているかのような感覚をおぼえた。さっきから外に出ようと妻の声が聞こえる。本当はこのままずっと浸かっていたい。

「夏椿」は客室と内風呂が分かれており、行き来のために数歩ほどの渡り廊下がある。この廊下がいいのだ。通ると羽織った浴衣へすっと風が吹き、火照った体からすうと熱が引いていく。思いのほか夏でも露天風呂は楽しめる。

16時。下駄を履いて妻と中庭へでる。ひさしぶりにわくわくしていることに気づく。

入湯手形を首からぶら下げた入浴客や、山河の浴衣を着た宿泊客とすれ違う。ここには騒がしい人はいない。皆が静かにほほえみ思い思いに時を過ごしている。

中庭はまるで小宇宙のようだった。はじめてなのにどこか懐かしさを覚え、自然にとけこむひとときが人としての原点を思い出させてくれる。
ここの景観はありのままのようでいて、きちんと手が加えられていた。黑川温泉は自然との調和をとても大切にしていると聞く。これもひとつのおもてなしなのかもしれない。

ゆっくりと散歩をしてから足湯に浸かる。やや熱めのお湯加減。ここもまた鼻をくすぐる硫⻩の香り。

そのまま本館へ。
ロビーには存在感のある薪ストーブや囲炉裏、ソファー。大きめの窓が額縁のようで、庭に生い茂る木々たちが絵画のように美しい。
お土産を物色し、バーカウンターでドリンクをいただく。この日はレモンときゅうりのドリンクで夏らしくさっぱりとした味。こうした地域の価値にふれる機会が随所にあった。

フロントにひと声かけてから談話室へ。館主の嗜好だろうか、侘び寂び、庭園、数奇屋、焼き物、建築から小林秀雄全集、孔子、ドナルドキーン、親鸞と道元、古事記まで、日本文化への造詣を思わせる選書に興奮する。宿全体に通じる美意識の源泉を垣間みた。

気づけばひぐらしが鳴いていた。そろそろ夕食の時間だ。旅の醍醐味である夕食は気がねなくゆっくり楽しみたいので部屋食をお願いした。

19時ちょうどぴったりに玄関を開ける音。仲居さんのもつ大きなお盆には繊細な盛り付けの料理が並んでいた。
涼やかな器に彩り豊かな旬菜たち。まるで夏の里山の芸術のようで気持ちが高まる。 おどろいたのは沢蟹である。「こちらは殻まですべて食べられます」 スタッフに言われるままに、大口を開けてバリバリと噛りついた。あー夏だわ、と感じる単純さ。

ここで早くもビールを飲み干してしまった。

「焼物」は、やまめの塩焼き。よくみると器には砂利が敷かれており、松枝で川の流れを模してある。まるで川を泳いでいるかのようなやまめの横には明かりの灯された鞠。これは黑川の風物詩である“湯あかり”を表現しているのではないか。おもわず膝を打つ。

山河で過ごしてみて感じた魅力はこうした計らいだ。知っている人は、はっと気がつく。けれど旅館からはそれを過剰に表現しない、説明もしない。気づく人だけがその心遣いに気づき、にやりと笑む。こうしたおもてなしに出会えるならなん度でもここに泊まりたくなる。

仲居さんはいつもタイミングよく食事を部屋まで運んでくれる。我を出すことなく一歩引き、必要な時には声をかけてくれる。二人の時間を一番に考えてくれるその気遣いにうれしくなる。

妻はけらけらと笑っている。お酒が進んでいた。ビールを楽しんだあと、わたしたちは「球磨焼酎のみくらべ3種」を頼んだ。

旅行にきたらその土地のお酒を嗜むのが楽しみの一つ。ちょっとずつ種類が飲める飲み比べはとてもありがたい。焼酎の製造元である熊本県球磨地方は、令和2年の豪雨で甚大な被害を受けた地域だ。売上の一部は人吉球磨に寄付されるそう。こうした機会に少しでも貢献できたらと思う。

酎の3種類は、「山河」「川辺」「六調子」。
それぞれの好みを言いあう。わたしはすっきりとした味わいの「山河」、妻は香りの強い「川辺」に一票を投じたのだが、皆さんはどう思うだろうか。

身土不二、その土地の旬のものをその土地で味わう。なんとも贅沢な時間。

二時間かけて妻と食事を楽しんだのはいつぶりだろう。街の居酒屋もいいけれど、近場の旅館に泊まりゆっくり過ごす選択肢もありだ。

食事を楽しんでいる間に、きれいに布団が敷かれていた。二度目の内風呂のあとに軽く夜の散歩へ。川の音や虫の音を運んでくるしっとりとした風がほろ酔いに心地いい。

今日は妻とよくしゃべったな。夜の散歩から帰ると二人とも早めに床についた。

早朝6時半。妻が朝風呂にいっている間に、少し残していた仕事にとりかかる。部屋には手紙などを書くためか、物書きができる書院がある。せっかくなのでスタッフに座椅子と灯りを借り、一時間ほど集中して仕事を片付けた。
休養にきた宿のほうがずいぶん仕事がはかどるのはどういうわけだろう。文豪の気分で旅館にこもる過ごし方、かなりいいのではないか。

朝食会場では赤い器に上品な料理が並んでいた。
よく言われるが、なぜか旅館の朝食はいっぱい食べてしまう。日ごろ朝食べない妻も完食していた。旅館の朝食は、「デザートは別腹」と同じなのかもしれない。

山河には7種類の温泉がある。
朝食のあとは、昨日まだ入っていなかった「六尺桶風呂」にいく。
「六尺桶風呂」は予約制で、たまたま一枠空いていた。もしかすると早めの予約がいいかもしれない。
大きな桶の半露天風呂。湯船に浸かりただ景色を眺める。なにも言うことはない。

10時を過ぎたころ。次の行き先に向かうため旅館を後にした。
惜しむらくはもう少し余裕があれば、黑川温泉街の散策や湯めぐりも楽しみたかった。それでも英気を養うには充分すぎるほどの満足感。しばらくは妻も上機嫌でいてくれるに違いない。